---狂言の世界に入られたきっかけは、なんだったのでしょう?
狂言の宗家の家に生まれたので、生まれたことがきっかけでしょうか(笑)。
師匠でもある父、先代の19世宗家和泉元秀は12年前に亡くなったのですが、
私の名前は、祖父の名前を継いでいるんです。
狂言師の家に生まれると、だいたい3歳で初舞台を踏むんですね。
3歳で初舞台ですので、その前にお稽古をしないと舞台に立てませんよね?
ですから、子どもが立って歩き始めたり、
言葉を喋り始めると、
足袋を履いたり 正座をする稽古をするんですね。
1歳半ごろから、 狂言の家としての環境に慣れていくお稽古をするんです。
そして、初舞台に向けての稽古が2歳半頃から始まります。
和泉流では、「靭猿(うつぼざる)」という、
決まった演目で初舞台を踏むのが、 慣わしになっています。
小猿の役なので、本当に小さい子じゃないと出来ないんです。(笑)
---成長時代でのエピソードなどがありましたらお願いします。
物心つく前から狂言の世界にいました。
もちろん学校にも通いましたが、公立の学校だと、節目節目で受験がありますよね?
受験勉強によって稽古が中断するのは好ましくないと言うことで、 小中高大学と一貫した学校に通っていました。
それも、修行や稽古の為であり 狂言の為でした。
いつの時代でも、小さい頃でも、狂言の無い生活というものは、考えられませんでしたね。
それでも、その時期にしか出来ない事ってありますよね?
修学旅行やクラブ活動などは、参加出来る範囲で、やれる時には、 精一杯やっていました。
中学では体操部で、高校では陸上部でしたよ。
---和泉流が板橋区に居を構えて、どのくらいになるのでしょう?
私が3歳の時に、板橋区に来ましたので、
もう30年ぐらいになりますね!
ずっと、同じ常盤台に住んでいます。
家の近所に、「上の根橋商店街」という商店街あるんです。
ときわ台の駅から、10分ほどのところにあるんですが
住宅街にぼん!と商店街が現れるので、
うちに来られたお客様は皆さん驚かれますね。(笑)
今でも賑わっていますが、小さい頃大好きだった、本屋さんや駄菓子屋さんなど
なくなってしまったお店もあって、それはちょっと寂しいですね。
その中で、今もある越後屋さんという酒屋さんは、当時、夜11時までやってたんです。
父の仕事が終わって、内弟子さんの稽古があって、
一番最後に、身内の私たち、誰にも見せない稽古が始まるんです。
それが終わるのが、小学生でも、夜の10時を過ぎたりもするんです。
そこまでは、厳しい師匠と弟子なのですが、
その稽古の後に、親子で越後屋さんに行くのが、楽しみでしたね。
---三宅さんにとって、狂言は、どのように捉えられていますか?
命がけだと、最近よく思っています。
自分達は、演技と捉えていないんですね。
狂言は言葉も抑揚も全て決まっていますし、型があるんです。
伝統芸能なので、それを守ってこその伝統ですから、
そこに自分の気持ちや個性を入れていくんですね。
自分の精神や肉体を削って、役を演じているな。と、
捉えています。
もちろん喜劇なので楽しいものなのですが、
じゃあ、演じる人間が、楽をしたり楽しみでやっているかというと、そうではなく、命がけでやっているからこそ、
お客様に楽しさが伝わるんだと思っています。
---お忙しい中、1日、どのくらいお稽古をされているのでしょう?
師匠とのお稽古というのは、 長くても、2時間弱なんですよ。狂言って、短い時間に全てのエッセンスが凝縮されていますので、 10分から30分ほどの演目がほとんどなんです。
良い稽古は、短い時間に集中してやりなさい。
というものが、父のモットーでした。
1回で言われた事が出来てそれを繰り返し稽古して行く。
というお稽古が、理想的なんです。
最初に時間を決めないんですね。稽古の時間を消化して行くという意識はないんです。
集中して何十回と繰り返すうちに、2時間以上経っていたというのならいいんです。
ですから、1日何時間やったからいいんだ。というものではないんですね。
---今後の三宅藤九郎さんとしての、抱負を教えていただけますか?
型を大切にしながらも、個性が出てしまうのが狂言の舞台です。
1人でも多くの方に、三宅藤九郎を観たい!と、思われる演者になりたいですね!
後は、子どもさんに狂言を教える事も多いんですね。
色々な可能性のある時期に、狂言を知ってもらえる事に、やりがいも感じています。
決して、その子どもさん全員がプロを目指すと言う訳ではないのですが、
ただ芸や技術を受け継ぐのではなく、
きちんとした精神も受け継いでもらいたいと思っています。
そのためにも、私自身が輝かないと。この人の様な芸が出来るようになりたい!と、
思わせられる演者にならないといけませんし、
人に教える事で、私が育って行く面もあるので、日々成長ですね!
---最後に、板橋区民にメッセージをお願いします!
最近は海外公演も多いのですが、海外のお客さまに非常に喜んでもらえたり、
世界に通じるんだ!と、感じて思う事は、
どこの国よりも、日本の方に一番知ってもらいたいし、 一番楽しんでもらいたいということなんです。
それと同じで日本全国で公演をしても、やっぱり、地元の板橋の人達に喜んでもらいたいんですね。
自分達が生活をして、育った板橋が中心となってこそ、 外に向けて活動が出来ていると思いますので、 これからも、私の心の寄りどころである、板橋でいてほしいなと思います!
---ありがとうございます! |