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板橋な人
和泉流 狂言師 十世三宅藤九郎さん

狂言という伝統芸能の喜劇に挑み続ける女性狂言師
狂言の和泉流のご家族は、板橋にお住まいである事を、
ご存知でした?ときわ台に、30年以上、住んでいるそうです。
和泉家の、次女で、女性狂言師でもある、
十世三宅藤九郎さんから、お話をお伺いして来ました。

十世 三宅藤九郎さん
三宅藤九郎さん



狂言の宗家の家に生まれたので、生まれたことがきっかけでしょうか(笑)。

---狂言の世界に入られたきっかけは、なんだったのでしょう?
狂言の宗家の家に生まれたので、生まれたことがきっかけでしょうか(笑)。
師匠でもある父、先代の19世宗家和泉元秀は12年前に亡くなったのですが、 
私の名前は、祖父の名前を継いでいるんです。
狂言師の家に生まれると、だいたい3歳で初舞台を踏むんですね。
3歳で初舞台ですので、その前にお稽古をしないと舞台に立てませんよね?
ですから、子どもが立って歩き始めたり、家族との一枚
言葉を喋り始めると、
足袋を履いたり 正座をする稽古をするんですね。
1歳半ごろから、 狂言の家としての環境に慣れていくお稽古をするんです。
そして、初舞台に向けての稽古が2歳半頃から始まります。
和泉流では、「靭猿(うつぼざる)」という、
決まった演目で初舞台を踏むのが、 慣わしになっています。
小猿の役なので、本当に小さい子じゃないと出来ないんです。(笑)

---成長時代でのエピソードなどがありましたらお願いします。
物心つく前から狂言の世界にいました。
もちろん学校にも通いましたが、公立の学校だと、節目節目で受験がありますよね?
先代との1枚受験勉強によって稽古が中断するのは好ましくないと言うことで、 小中高大学と一貫した学校に通っていました。
それも、修行や稽古の為であり 狂言の為でした。
いつの時代でも、小さい頃でも、狂言の無い生活というものは、考えられませんでしたね。
それでも、その時期にしか出来ない事ってありますよね?
修学旅行やクラブ活動などは、参加出来る範囲で、やれる時には、 精一杯やっていました。
中学では体操部で、高校では陸上部でしたよ。

私が3歳の時に、板橋区に来ましたので、
バー

---和泉流が板橋区に居を構えて、どのくらいになるのでしょう?

私が3歳の時に、板橋区に来ましたので、
もう30年ぐらいになりますね!
ずっと、同じ常盤台に住んでいます。
家の近所に、「上の根橋商店街」という商店街あるんです。
ときわ台の駅から、10分ほどのところにあるんですが
住宅街にぼん!と商店街が現れるので、
うちに来られたお客様は皆さん驚かれますね。(笑)
今でも賑わっていますが、小さい頃大好きだった、本屋さんや駄菓子屋さんなど
なくなってしまったお店もあって、それはちょっと寂しいですね。
その中で、今もある越後屋さんという酒屋さんは、当時、夜11時までやってたんです。
父の仕事が終わって、内弟子さんの稽古があって、
一番最後に、身内の私たち、誰にも見せない稽古が始まるんです。
それが終わるのが、小学生でも、夜の10時を過ぎたりもするんです。
そこまでは、厳しい師匠と弟子なのですが、
その稽古の後に、親子で越後屋さんに行くのが、楽しみでしたね。

---三宅さんにとって、狂言は、どのように捉えられていますか?
命がけだと、最近よく思っています。
自分達は、演技と捉えていないんですね。舞台での一枚
狂言は言葉も抑揚も全て決まっていますし、型があるんです。
伝統芸能なので、それを守ってこその伝統ですから、
そこに自分の気持ちや個性を入れていくんですね。
自分の精神や肉体を削って、役を演じているな。と、
捉えています。
もちろん喜劇なので楽しいものなのですが、
じゃあ、演じる人間が、楽をしたり楽しみでやっているかというと、そうではなく、命がけでやっているからこそ、
お客様に楽しさが伝わるんだと思っています。

---お忙しい中、1日、どのくらいお稽古をされているのでしょう?
師匠とのお稽古というのは、 長くても、2時間弱なんですよ。狂言って、短い時間に全てのエッセンスが凝縮されていますので、 10分から30分ほどの演目がほとんどなんです。
良い稽古は、短い時間に集中してやりなさい。
というものが、父のモットーでした。
1回で言われた事が出来てそれを繰り返し稽古して行く。
というお稽古が、理想的なんです。
最初に時間を決めないんですね。稽古の時間を消化して行くという意識はないんです。
集中して何十回と繰り返すうちに、2時間以上経っていたというのならいいんです。
ですから、1日何時間やったからいいんだ。というものではないんですね。

1人でも多くの方に、三宅藤九郎を観たい!と、思われる演者になりたいですね!
バー

---今後の三宅藤九郎さんとしての、抱負を教えていただけますか?

型を大切にしながらも、個性が出てしまうのが狂言の舞台です。
1人でも多くの方に、三宅藤九郎を観たい!と、思われる演者になりたいですね!
後は、子どもさんに狂言を教える事も多いんですね。
色々な可能性のある時期に、狂言を知ってもらえる事に、やりがいも感じています。
決して、その子どもさん全員がプロを目指すと言う訳ではないのですが、
ただ芸や技術を受け継ぐのではなく、
きちんとした精神も受け継いでもらいたいと思っています。
そのためにも、私自身が輝かないと。この人の様な芸が出来るようになりたい!と、
思わせられる演者にならないといけませんし、
人に教える事で、私が育って行く面もあるので、日々成長ですね!

---最後に、板橋区民にメッセージをお願いします!子ども達との一枚
最近は海外公演も多いのですが、海外のお客さまに非常に喜んでもらえたり、
世界に通じるんだ!と、感じて思う事は、
どこの国よりも、日本の方に一番知ってもらいたいし、 一番楽しんでもらいたいということなんです。
それと同じで日本全国で公演をしても、やっぱり、地元の板橋の人達に喜んでもらいたいんですね。
自分達が生活をして、育った板橋が中心となってこそ、 外に向けて活動が出来ていると思いますので、 これからも、私の心の寄りどころである、板橋でいてほしいなと思います!

---ありがとうございます!

プロフィール

和泉流 狂言師 十世三宅藤九郎

1972年(0歳)12月
和泉流19世宗家の次女として生まれる。

1976年(3歳)
「靱猿」の小猿役で初舞台。
和泉流19世宗家和泉元秀を師匠に狂言の修行に励む。
   
1985年(12歳)3月
語りの大曲「奈須與市語」を披く。

1987年(14歳)2月
プロになるための登竜門である大曲「三番叟」を披く。
5月、9世三宅藤九郎の指名により10世三宅藤九郎名跡継承。

1988年(15歳)11月
初の海外公演。日中国交正常化15周年文化交流団として北京で公 演を行う。
その後海外公演は12カ国30都市に及ぶ。

1990年(17歳)11月
十世三宅藤九郎襲名。襲名記念公演を国立能楽堂で行う。
姉・史上初女性狂言師和泉淳子とともに文部大臣より感謝状を受ける。

1994年(21歳) 5月
イタリア・フィレンツエ市より招聘を受け、「Maggio musicale F iorentino」において5カ国合作オペラ「HAGOROMO」(Bob Wilson演出) に出演。
12月、秘曲「釣狐」を披く。

1995年(22歳) 8月
ロンドン・グローブ座プレ・オープニングのワークショップシー ズンにおいて「狂言とシェイクスピア」について、
ワークショップ(英語)を行う。

1997年(24歳) 4月
十世三宅藤九郎狂言教室を千葉と東京に開設。
千葉市内の小学校で特設狂言クラブを実施、 狂言の普及とともに小中学生の「こころの教育」につとめる。

2000年(27歳) 9月
女性狂言師協会を姉・和泉淳子とともに発足。副代表を務める。
6月、「国連婦人年」に際しNY、国連プラザで記念公演。

2001年(28歳)
福岡・世界水泳選手権大会開会式での狂言オペラ、 「夏の夜の夢」に出演。
「女性狂言師でござる」出版(廣済堂出版・和泉淳子共著)。

2002年(29歳)
梅田・新宿コマ劇場7月公演「義経と弁慶」に北条政子役で出演。
明治座12月公演「北条時宗」に北条時輔の妻・祥子役で出演。

2003年(30歳)
文化庁委嘱事業「千葉市狂言子ども教室」の指導・監修を行う。

2004年(32歳)
三宅藤九郎公式HP開設。
加賀・能登において狂言教室を明治維新以来、約150年ぶりに再開

オフィシャルサイト
http://www.tokuro.com/













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