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板橋な人
カスタムナイフメーカー 相田義人さん
プロから一般のアウトドアフリークまで幅広いファンをもつ、世界でもトップクラスのカスタムナイフメーカー。
「近代ナイフの父」巨匠・ラブレス。ラブレスと同じ「リバーサイド・ウエスト」の刻印を許された正統かつ唯一の後継者。 相田義人さんにお話を伺いました。
相田義人さん
相田義人さん


すごいなと思ったんだけど、これぐらいなら自分にもできると思ったんです。


○まず最初にカスタムナイフとはどんなものなのかを簡単に教えていただけますか。

カッコよく言うと、一人の職人が、デザインから素材の選別、全ての工程を責任を持ってこなして生涯保証をするナイフをカスタムナイフと呼んでいます。
職人さんによっては違う定義をもたれている方もいらっしゃると思いますが、
私の定義としてはそういうことですかね。



○カスタムナイフの世界に入られたきっかけは何だったのですか?


家が成増二丁目にある武蔵野金属工業所いう会社で、私の兄で4代目になるんですが、
美・理容関係の刃物を作っていたんです。
はさみ、安全かみそり、爪きり、爪やすりなどを、時代時代に合わせて作っていたんです。
そういうなかで育ったので、ナイフ作りの下地はあったと思います。

カスタムナイフとの出逢いはというと、
「カスタムナイフメーカー」という職人がいるってことは大学の頃から知ってはいたんですけど、一人で全工程をやるということが信じられなかったんです。
そんなこと本当にできるわけないだろう、と思ってたんです。

小さな町工場でしたけど、工程工程にエキスパートの職人がいて、ひとつの製品ができるわけだから、個人でちゃんとしたナイフなんか作れるわけがないと思っていたんです。

カスタムナイフ職人のナイフを最初に手に取ったときに、自分が考えていいたよりもグレードの高いものだったので、
すごいな、ひとりで作るというのは本当だったんだって驚いたんです。

すごいなと思ったんだけど、これぐらいなら自分にもできると思ったんです。
中学校の頃から工場の手伝いをやっていたので、
そのナイフを見たら、作る工程が、どうやって作ればいいかは、わかりましたから「これくらいならできないことはないかな」と思って作ってみたんです。
工場には材料もありましたし、工具や機械類も全て揃っているんで、それで実際にやってみたら、なんとかできたんです。「これは結構おもしろいや」と思って。
それで少しずつ作り始めたわけです。
それが、カスタムナイフとの出逢いで、始まりです。

それから、だんだんいい作品を見たりしていくうちに、
これは、なかなか奥が深い世界だということがわかってきて、ナイフ作りの世界に入ってしまいました。

○デザインを見ているとシンプルできれいですよね、やはりその美しさかに惹かれてこの入られたんですか?

この世界に入るのは、今使っているものに満足出来ないから必要に迫られて自分で作ってしまうというタイプと、デザインやかたちに魅了されて入っていくタイプがあるんですが、私は後者のデザインやかたちの美しさに魅了された方です。

ナイフというものは不思議なもので、爪きり、缶きり、なた、のみ、かんな、包丁、メスといったように切るというカテゴリーのほとんどのことが出来てしまう。
専門の道具に比べると使いにくいわけだけど、のみやかんなはナイフの代わりは出来ないんですね。

ナイフは使い手の意図によって使い方が変わってくる面白いものなんです。
専門道具ではないので、あえてナイフとして使わないと使い道の全くない物なんです。
道具とは全般的にシンプルなものが多いのですが、カスタムナイフも基本的には使えることが最低の条件なんです。

だから、お客様が使いたくなるようなものを意識して作っています。
まずは、手にとっていただけないとだめなんで・・・。
姿かたちがきれいなものは、だいたい手にとってみたくなりますよね。
手にとって使いやすものは、触り心地がいいんです。
そこら辺を考えて作っているんですがね。
やればやるほど、深みにはまっていく感じですかね。
これがまた魅力でもあるんですけどね。


成増の二丁目で生まれて育ったのですが、普通の子どもでしたよ。


○話は変わりまして、こどものころの相田さんはどのようなお子さんだったのですか?
また、どのような遊びがありましたか?


私は団塊の世代で、成増の二丁目で生まれて育ったのですが、普通の子どもでしたよ。
子どもの中にも縄張りと言うものがあって、白子(和光市白子)の下のほうや練馬区側の旭町とか豊渓中学のほうはあまり行かなかったのでよく知らないのです。
ほとんど高島平方面に遊びに行っていました。
成増の北側を通って高島平方面に遊びに行っていたんですが、カナカナしか鳴かない山があって、本当にカナカナだけしかいないんですよ。(笑い)
その山を越えて、遊びにいっていました。

遊びは、自然が相手だったと言うか、魚とり・蝉取り・蛙釣り・ベーゴマ・竹馬そんな遊びしかなかったですよね。
お兄ちゃんの後にくっついて遊んでいました。
貸し自転車屋というものがあって、半日5円だったか?1日5円だったかな?
みんなで自転車を借りて三角のりをして遠くまで遊びにいっていました。
現在のように子供用自転車なんて無い時代ですから、大人用の自転車を乗りこなすわけです。

○いま、「ALWAYS続・三丁目の夕日」という映画がヒットしていますが、映画の中に出てくる遊びそのものですね。

練馬方面は、畑ばかりで変化がなくて全然面白くなくて、どうしても起伏があり水のある成増から高島平方面に遊びにいってましたね。
今のビッグボーイの所に駄菓子屋さんがあったのですが、お小遣い5円をもらって行っていました。そこに行くのも楽しみでしたね。

これからは、少しゆとりを持ってじっくりと作って行きたいなーと思っています。


○これからの活動や目標などをお聞かせ下さい。


これからは後進を育てるほうに力をいれていきたいなと思っています。
カスタムナイフは歴史のある世界ではないので、 作り方なども確立されてなく、試行錯誤しながらやってきている部分もあるんです。
自分が失敗したり、回り道した部分など、出来るだけ取り除いて。
日本人は器用なので、日本人の作っているものは精度がいいということで評価高いので、若い人たちのためにこうやれば間違えのないものが作れるよといったノウハウなど、面倒が見られればいいなと思っています。

昔は作ること自体が楽しかったので、がむしゃらに何時間やっても疲れなかったのですが、さすがにこの年になってくると・・・・・、

これからは、少しゆとりを持ってじっくりと作って行きたいなーと思っています。
ボーとする時間が多少あってもいいのかなと思ってい ます。

○最後に区民の方に一言ありましたらお願いします。
大田区のほうが職人や町工場のイメージで捉えられることが多いのですが、 板橋区の町工場も高い技術があり、人材も豊富だし、板橋区って“すてたもんじゃないな”と思っているんです。
自然も豊富だし大変いいところだと思っています。

○ありがとうございました。

 



プロフィール

相田義人(あいだよしひと)さん

1948年8月8日生れ、板橋区成増在住。
家業は、爪切りやカミソリ製作の金属加工業をしていた。
そもそもナイフメーキングには、恵まれた環境にいたといえる。
1977年に渡米、R.W.ラブレス氏に師事しナイフメーキングの基本を習得、
フルタイムのナイフメーカーになった。
今ではラブレスの工法とラブレスシステムに熟達し、ラブレスナイフ・真の後継者で、
世界的なカスタムナイフメーカーといわれる。
内外にファンが多く、注文してから手元に届くまで3〜6ヶ月はかかる。
趣味は、オートバイ、釣り、登山、読書、音楽、その他多才。

・相田さんのサイト
リバーサイド・ランド
http://www.riverside-land.com/

・ショップ
マトリックス・アイダ
東京都板橋区成増2-26-18-101
電話 03-3939-0052 
FAX 03-3939-0058 
URL http://www.matrix-aida.com/






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