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板橋な人
小林福司さん

家族が大変なのに、私だけやらないわけにはいかないと思ったんです。


板橋区伝統工芸「江戸小紋染め」小林染芸の小林福司さんに江戸小紋の魅力、歴史などを伺ってきました。
小林福司さん
小林福司さん


この世界に入らなくてもいいと言われたんですが・・・

○小林さんが江戸小紋の世界に入られたきっかけは何だったのですか?
私は次男ですから、この世界に入らなくてもいいと言われていたので、大学を卒業して高校の教師をしていました。
兄は違う世界に行きたかったようですが、長男ということで高校卒業後京都に修行に行って今ではどっぷりとこの世界に浸かっています。

江戸小紋の型染めは色々な作業工程があるので、何人かいないと出来ないのですが、3人ほどいた職人さんが、3人とも高齢で辞められて、人が足りなくなったんです。
若い職人さんを入れようとも考えたのですが、仕事を覚えるまでに時間がかかること、これからの時代などを考えると、身内でやっていった方がいいのではないかと言うことでこの世界に入ることになりました。

○好きで入ったわけではないのですか?
正直言って、そういうことになります。(笑い)

それと、職人さんがいなくなって、父と兄で仕事をこなしていたんです。
仕事があるというのは嬉しい事なんですが、問屋さんからも毎月せっつかれるぐらい忙しく働いていました。忙しさに兄が体を壊したりもしまして、そういう姿を見ていると、家族が大変なのに私だけというわけには行かない状況で、私もやらないといけないという気持ちのほうが一番大きかったと思います。

小さい頃から父の仕事振りを見たり、水洗い、のり置きなどは手伝っていたので、やり方とかはどんな事をやっているのかは分かっていました。
だから、この仕事には抵抗無く入っていけました。
ただ、人や社会と接しする生活をしていたのが、この世界に入って仕事に集中すればするほど社会との接触が少なくなっていくギャップに少々戸惑いました。

○生まれも育ちも高島平ですか?
練馬区の田柄で生まれたんです。小学校5年のとき、昭和52年にこちらに引っ越してきました。
それからずっとこの場所で暮らしています。
高島平団地は出来ていたのですが、この辺りはまだ、畑と田んぼが多く残っていました。
荒川も近いので絶好の遊び場でしたね。

○江戸小紋とは、どのようなものですか?
紋とは、室町時代に武士の裃の柄から出たもののようです。型紙を使用して着物の文様を染める技法を型染めといいます。大紋型染め、ゆかたなどに使用される中型染めに対して、細かい柄の型染めのことを小紋型染めと呼んでいたことから「小紋」という名前で呼ばれています。
江戸時代から明治になって一般庶民も着ることができるようになりました。
基本は伊勢型紙を使って、糊置きをして一反の着物に仕上げていく技術です。

○江戸小紋という名前はごく最近つけられたと聞いていますが・・・
昔は裃小紋、鮫小紋とか言われていたんです。
小紋とは型紙の大きさの事を言っているのではないかといわれています。
「江戸小紋」の呼称は、昭和30(1955)年重要無形文化財「江戸小紋」指定時に正式名称のとして使用されました。しかし、昔から使われていたようです。
江戸時代に日本中にものすごい広がりを見せたところから江戸小紋と呼ばれています。
江戸小紋が準礼装になるのは裃からの影響を強くうけているようです。
江戸小紋は、一色染を基本とし遠くから見ると無地染めと変わりません。ところが近くで良く見てみると、細かい柄が無数に染められています、これは大変な技術です。

○小紋染めの難しさや、魅力はどのようなところですか?
一反(12メートル)染めるのに、型紙をずらして染めていくのですが、同じ作業を100回ぐらい繰り返します。接続部が型紙通りに柄がずれないようについで行くところに難しさがあります。
始めると途中でやめることが出来ないので、集中力と運動能力が必要です。
単純な柄ほど難しいですね。
型紙は伊勢型紙と言って美濃和紙に柿の渋を塗ったものを使います。
型紙職人の作ったいい型紙がないといい染めは出来ません。型紙職人さんとの共同作業です。
うまく染め上がったときは何事にも代えられない喜びがあります。

江戸小紋をに伝えていくことが役割かなと思っています。

○今、一番の関心事はどのようなことですか?
百貨店などに呼ばれて、実演販売などに行くのですが、
お客様から、何で型紙は小さいの? 何で礼装に使えるの?など、色々な質問が来るんですが、答えられなかったんです。
父や職人さんや問屋さんに聞いても、昔からそうなっているからとか、そうだからそうなんだ。と言う答えしか返ってこないんです。(笑い)
それではだめだということで調べ始めたのです。文献等もあまり無いので、色々な方に話を伺いに行ったりしています。
江戸小紋を調べれば調べるほど、知れば知るほど奥が深いんです。
日本の文化は、中国やインドからの影響が強いのですが、江戸小紋は日本生まれの日本育ちなんです。
これは珍しいことなんですよ。
職人からのメッセージという意味で、江戸小紋を皆様に伝えていくことが自分の役割かなと思っています。

○江戸小紋の広報担当ですね。
そうですね。
元々の仕事が教えることだったので、得意分野なんです。
色々な方に江戸小紋の素晴らしさを知っていただきたいと思っています。

○これからの夢や目標などをお聞かせ下さい。
昔は、問屋さんからの注文を受けていればよかったのですが、今は、需要が少なくなってきています。当然問屋さんも少なくなってきています。
作っているだけでは駄目な時代なので、小売店さんやお客様との直接取引きの方向に進んでいます。
うちの場合は家族でやっていますので、染の仕事の合間を見ながらわたしが営業活動をしています。
染職人もそうですが、型紙職人も減ってきています。
後継者の問題が大きいのですが、やはりこの素晴らしい技術を後に残さないといけないので子どもたちには継いで貰いたいと思っています。
そのためには、この技術を着物だけでなく色々な分野に応用できないかと模索しています。

それと、高島平の地名の由来になった高島秋帆の裃が残っているんですが、
高島平に居を構え、小紋の仕事をしていて、高島秋帆の裃がある。何かの因縁を感じています。
当時の染め方で裃を染めてみたいと思っています。それが出来るのもいる今しかないとも思っています。

○ありがとうございました。

プロフィール

小林染芸
住所:板橋区高島平7-40-5br/> 電話:03-3939-2861
URL:http://www.edokomon-somekoubou.com/




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