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板橋な人
甲冑師 三浦公法さん

板橋は歴史の古い街です。歴史を勉強してみてください。


ある出会いに甲冑に魅せられてからその道一筋に歩んでこられた、日本で数人しかいない甲冑職人、板橋区無形文化財の「三浦公法(みうらひろみち)」さんにお話をお聞きしました。
三浦公法さん
三浦公法さん


そこで目にした、甲冑の美しさ、技術に驚いたんですよ。

○甲冑の世界に入られたきっかけは何だったのでしょうか?
父は弁護士、母は南部鉄器職人の子で、7人兄弟の末っ子に生まれました。
生まれは愛知県の豊橋市ですが、田舎では弁護士家業も仕事がないんですね。
それで、小学校の高学年のときに東京に移ってきました。
上の兄弟が法律の道に進まなかったこともあり、親は自然と私に期待するんですね。
ところがどうも法律というものが肌に合わなかったのでしょうね。
大学は法学部なんですが、卒業後は鉄道模型の会社に就職したんです。
小さい頃から、手先が器用で物を作るのが大好きな子だったのです。図工だけはいつもいい成績をとっていましたし、展覧会や作品展では色々な賞をもらいました。
高校時代にコンクールでの作品が一等賞を受賞したのです。
その後、父も後を継がせることを諦めたのか?「好きなことをやりなさい」といってくれたので、大好きな物作りの道に進みました。

28歳のときだったと思いますが、新宿のデパートで「大甲冑展」をやっていて、何気なく入ったんです。
そこで目にした、甲冑の美しさ、技術に驚いたんですよ。
昔の人が作ったんだから、現代の私にも作れるだろう。
妙な対抗意識といいますか、自分にも作れるという自信ですかね。作ってみたいと思ったんです。
ダンボールで兜の模型を作り、「日本甲冑武具研究保存会」に、その模型を持って行ったんです。そうしたところ当時の日本を代表する甲冑師の「森田朝二郎」氏を紹介されたんです。
そして森田先生に弟子入りしました。

もちろん勤めていた会社は退職しました。
そのときはもう結婚していたのですが、妻がピアノの教師をして支えてくれました。
その当時はもう成増に住んでいました。
成増北口商店街の中ほどに、初音湯という銭湯があるのですが、その2階がピアノ教室でした。その当時の近所の子どもたちは、妻の教え子が多いですよ。

○初音湯、知っていますよ。私が板橋区で最初に住んだのが成増の北口です。当時風呂が無いアパートに住んでいましたから、初音湯はよく通いました。ひょっとしたらどこかで会っていたかも知れませんね。なつかしいですね。

材料探しから製作まで一人でやるので約3年はかかります。

○甲冑の世界に入られて、修行は大変だったのはないですか?
そうですね、退職金が20万円程だったのですが、そのお金で、骨董屋で甲冑を一領(りょう、甲冑の数え方)買い、全部ばらして、全ての部品の型を取り、1年半ぐらいかけて完全な写しを作りました。
先生は忙しいので、材料や工具は全て一人で調べて調達しました。聞けば簡単なんでしょうが、自分のためにならないと思っていたので、全て一人でやりました。
それからというもの、甲冑作りの毎日です。のめりこんでいましたよ。
そうれからもう一領復元したのですが、それが認められて、推薦甲冑師の推薦を受けることになりました。31歳のときです。

○甲冑師の仕事とはどのようなものですか?
修理や復元です。
全国の博物館や寺社などから依頼が来ます。海外からも依頼があります。
37歳のときですが、英国王立武器博物館から、徳川家康が当時の英国王ジェームス一世に送った甲冑の修理が来ました。エリザベス女王からの依頼でした。
森田先生は、あなたなら出来ると言って励ましてくれました。
約1年半かけて修復しました。
そのときに兜のレプリカも作りました。
制作の方も依頼が結構あるんですよ。有名な武将の甲冑を作ってくれという依頼などですね。
私の場合は、材料探しから製作まで一人でやるので約3年はかかります。
彫金や組紐以外は、全ての部品を自分で作っていきますのでどうしても時間がかかります。最近は材料を手に入れるのが難しい時代になってきました。

○修復といっても当時の資料などは残っていませんよね?
そうです。甲冑に関しての資料は殆んど残っていません。どんな材質の物をどのように加工してなどといった資料は一切ありませんので、博物館や寺社などに行って、実物を見せてもらい、寸法をはかり、写真を撮ったりして、研究します。
国宝級の物ばかりなので、手で触ることが出来ないんですよ。
調査研究のために日本全国色々なところに行きます。
まだまだ、新しい発見があり奥が深いですね。

自分の住んでいる街の歴史を知る事は大事なことだと思うのです。

○これからの夢や目標などありましたらお聞かせ下さい。
一つは、後継者です。私には男の子が二人いるのですが、跡を継ぐ気は無いようです。
おかげさまで弟子が四人程います。内弟子はいませんので、皆通いで来ます。一人は外国人で、まだ1年半ほどです。群馬の高崎から通って来る子もいます。

もう一つは、私が昔から記録してきたものの整理です。調査し研究し記録したものが多数あります。これを整理してまとめていく作業です。
少しずつですが取り掛かろうと思っています。

○最後に区民の方に一言お願いします。
赤塚郷土資料館で年に3回ほど武者行列をやっていますが、驚いたことに女の子の参加が多いんですよね。女の子の方が活発なんですよ。男の子頑張れ!!と言いたいですね。(笑い)
それにと、板橋は歴史の古い街です。自分の住んでいる街の歴史を知る事は大事なことだと思うのです。自分の住んでいる街の歴史を知ることによって、見方が違ってきたりします。
愛着も湧いてきたりするものですので、歴史を勉強してみてください。

○ありがとうございました。

プロフィール

甲冑師 三浦公法
板橋区成増4-5-12
03-3939-1396

1938年
愛知県豊橋市生まれ
1949年
東京都に移住
1962年
専修大学法学部法律学科卒業
1967年
日本甲冑武具研究保存会に入会(現在は同会常務理事)
1969年
同会より推薦甲冑師の指定を授与
1975年
徳川家康が英国王ジェームズ1世に寄贈した甲冑(英国王立武器博物館所蔵)を修理
1979年
平安から江戸期に至る名品甲冑の復元品により個展開催
1985年
アメリカでの展覧会「日本の変り兜」の管理責任者として滞米
1986年
神奈川県寒川神社の依頼により伝武田信玄着用兜を復元製造
1989年
ユーロパリア’89日本祭の展覧会「変り兜と陣羽織」の管理責任者としてベルギーに滞在
1999年
(財)全日本剣道連盟の各大会 優勝トロフィーとして国宝の複製兜を制作/板橋区伝統工芸士に認定
2006年
岩手県立博物館の依頼により南部家の甲冑を修復
2007年
独立行政法人国際交流基金の国際展覧会用として室町時代の甲冑・兜を復元製造
2008年
板橋区無形文化財に認定


 

 


 

 

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