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HOME >> バックナンバー >> [特集]大谷口給水塔 〜消え行く昭和の面影〜


水道タンクを目指して


東武東上線大山駅からハッピーロードを抜けて川越街道に出て、大山西町の信号を渡り、大山西銀座商店街を大谷口方面に100メートル程歩くと、正面左側に、ちょっと風変わりなドーム型の屋根が小さく見えてきます。
それが、目指す水道タンクです。

さらに商店街を歩いていくと、水道タンクはどんどん大きくなっていきます。
大山駅から歩くこと約10分、大谷口1丁目の信号まで来ると、 水道タンクは堂々とそびえ立っている姿をみせてくれます。


堂々たる姿


正式には大谷口給水塔と言うそうです。
地元の人は水道タンクと呼んで、大谷口地域のシンボルとして親しまれています。
バス停も水道タンク前になっていました。

なぜ、大谷口にこのような建築物が立ったのでしょう?


歴史
関東大震災大正12年(1923年)後、東京近郊は都心部から逃れてきた人たちで、 急速に人口が増加しました。
人口増加による水不足はかなり深刻な状態だったようです。
その水不足を解消するために荒玉水道という上水道が計画されました。

●荒玉水道とは
北豊島郡と豊多摩郡の13の町(北豊島郡が板橋町、巣鴨町、瀧野川町、王子町、岩淵町、長崎町、高田町、西巣鴨町で、豊多摩郡が中野町、野方町、和田堀町、杉並町、落合町)からなる東京府荒玉水道町村組合によって作られました。
多摩川の水を、砧浄水場(世田谷区)から野方給水場(野方水道タンク)・大谷口給水場(大谷口水道タンク)までの水道のことを言います。
この工事は、大正14年((1925年)から工事に入り昭和6年(1931年)に完成しました。
荒玉水道の荒玉は、荒川と玉川(多摩川)のことで、将来は、荒川からも水を引く計画があったそうです。


荒玉水道の終点に大谷口水道タンクがある。

荒玉水道の終点が大谷口水道タンクなのです。

大谷口水道タンクが完成したのは、昭和6年6月。
昭和47年(1972年)7月、老朽化によって使用が中止されるまで、およそ40年の間、地域の人たちに飲料水を供給し続けました。
その後、水道施設としての機能は完全に停止したまま現在に至っています。


給水塔の原型を作った、中島鋭治

荒玉水道事業における調査・設計のすべては、日本近代衛生工学の父と言われている、工学博士中島鋭治という方です。
中島氏は、アメリカ、ドイツなどに留学し、衛生工学・水道工事・橋梁学等を修め、ヨーロッパの上下水道・土木工事・ローマの給水法を調べたりしました。
彼は全国の上下水道の指導もしており、彼の作品は、駒沢給水所・野方給水塔・大谷口給水塔等、日本のいたるところにあるといわれています。
日本人で初めて東京の下水道を設計したのも彼です。
マンホールの蓋の原型を作ったのも彼だそうです。

優雅で、ある種の美しさをもった大谷口水道タンクは、ドーム式屋根・丸窓等、当時流行したアールデコ、表現派の特徴を持っているといわれています。

彼の設計した水道タンクの一つ、野方水道タンクにも行ってきました。
野方のタンクは大谷口のものとほとんど同じデザイン。
野方水道タンクの方が一年早く完成し、高さは0.6メートル、直径が3メートル程大きいんだそうです。
そのせいか多少ズングリした印象を受けましたね。


野方の給水塔

野方は白っぽい感じ。


取り壊される水道タンク

使用中止になってから30余年。これまでも取り壊しの話などは出ていたようです。
地元からの保存の声や、取り壊しに掛かる経費など諸問題があり現在に至っていたのですが、とうとう取り壊されることになりました。

現在、水道局の宿舎や隣接する公園は平地になり、敷地の周りにバリケードが張り巡らされています。都水道局の話では、タンクの取り壊しは、早ければ3月下旬あたりから行われるそうです。


跡地の利用

跡地は、大谷口給水所(仮称)として、板橋区及び豊島区の約12万人の飲料水を供給する施設と、震災時等の給水拠点として周辺地域の住人の方たちに飲料水を供給する機能を果たす施設となります。
都水道局の話では、大谷口給水場が供給していた地域の水は、現在東村山浄水場から供給されており、広範囲な給水エリアの東端部分にあたるため、何かの事故等が起きた場合、給水の確保が困難な地区となっているそうです。
そこで朝霞浄水場の水も活用できるように整備する計画です。
行政としてはライフラインの確保が大きな目的の一つです。

地域のシンボルとして親しまれてきた水道タンクなので、地域住民や板橋区からの強い要請等もあり、都水道局としては始めて、現在の塔の意匠を継承するデザインとし、施設の役割・機能及び土木技術上の価値を調査し記録保存することにしました。
中央にポンプ棟、地下に配水池を作りその上を駐車場と公園にする計画です。

地元町内会の会長さんは、本当の地元に親しまれる、開かれた施設になるよう都や区との折衝を続けていくとおっしゃっていました。


大谷口給水所(仮称)の予想図

●施設の概要
配水池容量:3.5万立方メートル
一日最大配水量:8.4万立方メートル
受水系統:主)南北幹線(朝霞系)、従)野方大谷口線(東村山系)
整備時期:平成16年〜平成20年


あとがき

ドーム型の屋根、丸窓、屋根の上の装飾品的な東屋。
昭和初期のムードを漂わせるレトロ調の美しいデザイン。

大谷口水道タンクは、人の心を引きつける何かがあるようです。
このような歴史的建造物は、なにか別の形で保存できればと思ってしまいますね。
ちょっと残念です。

大谷口水道タンクを見ておきたいと思われる方は、早いうちに見ることをお勧めします。
もうまもなく工事が始まってしまいます。

最後の雄姿を目に焼き付けておきましょう。




【大谷口給水塔DATA】
昭和6年(1931年)に完成。
荒玉水道の終点にあたる。

昭和47年(1972年)7月、老朽化を理由に使用が中止されたまま、現在に至る。

この昭和モダンを思わせるデザインは、工学博士、中島鋭治によるもの。

長年、地元のランドマークとして存在し続けてきたが、ついに取り壊しが決定。
大谷口給水所(仮称)として、生まれ変わる。


[高さ]
33m

[直径]
15m

[貯水量]
2845t

[構造]
鉄筋コンクリート製


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